01名前の澪環(みわ)って何?
湖畔で小さな茶屋を営んでいた祖母が、私に付けてくれた名前です。
「澪」は、湖の底を流れる水の道。
「環」は、諏訪大社の四つのお社を結ぶ、目に見えない環。
祖母は、「あなたは、人の心の流れをそっと聴いて、それを人と人の間に返してあげる子になりなさい」と言って、この二文字を選んでくれました。
幼い私にはよくわからない話でしたが、その言葉の音だけは、ずっと胸の底に残っています。

上諏訪で、心の流れを聴く
みわ
あなたの心の水が、
また静かに流れるように。
はじめまして。
長野県諏訪市の上諏訪で霊視占い師として活動しております、澪環(みわ)と申します。
今日は、私がこの仕事にたどり着くまでの道のりを、少しだけお話しさせていただこうと思います。
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
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公式LINEで相談する生まれ育ちは、上諏訪の湖のほとりの古い集落です。
両親は市内で共働きの二人でしたので、物心ついた頃から私を育ててくれたのは、湖畔で小さな茶屋を営んでいた祖母でした。
祖母は口数の少ない人でしたが、冬に「御神渡り」が現れる朝だけは、店の窓から湖をじっと見つめて、何かをぽつぽつと呟いていました。
「澪環(みわ)」という名前は、祖母が名付けてくれたものです。
「澪」は、湖の底を流れる水の道。
「環」は、諏訪大社の四つのお社を結ぶ、目に見えない環。
「あなたは、人の心の流れをそっと聴いて、それを人と人の間に返してあげる子になりなさい」
そう言って、祖母はこの二文字を選んでくれました。
幼い私にはよくわからない話でしたが、その言葉の音だけは、ずっと胸の底に残っていました。
自分は少し違うのかもしれない、と最初に思ったのは、八つの夏です。
上諏訪の湖上花火大会に、祖母と二人で出かけた夜のことでした。
湖畔には浴衣姿の家族連れが並び、みんな空を見上げて笑っていました。
その中に一人だけ、本当の意味では笑っていないおばあさんが、遠くのベンチに座っているのが視えました。
顔は誰よりもにこにこしていました。
けれどその内側には、音のない大きな川が流れているような、深い深い悲しみがありました。
私は理由もわからないまま、そのおばあさんの隣に歩いていって、祖母から買ってもらった綿菓子を、そっと差し出しました。
おばあさんはしばらく私を見つめてから、静かに、涙をこぼされました。
「ずいぶん昔にね、こんな夏の夜に、息子を亡くしたんだよ」
家に帰る道、祖母は珍しく、私の手を強く握って歩きました。
何も言わず、ただ、私の頭を一度、そっと撫でました。
それから、少しずつ、不思議なことが増えていきました。
私に感じられるのは、人の心の中を流れる、水のような想いです。
その「流れ」が、まるで湖の澪のように、私には感じられるのです。
最初は気のせいだと思っていました。
でも、「大丈夫」と笑っていた友達の内側に濁りを感じた翌日、その子から、「実は昨日、家で…」と打ち明けられるのです。
くり返されるうちに、これは思い込みではないと気づきました。
中学、高校と進むにつれて、この感覚はより強くなっていきました。
上諏訪駅の朝、学校の体育館、花火大会の湖畔、人の集まる場所を歩くだけで、たくさんの水の流れが同時に押し寄せてきて、帰り道は頭の芯がじいんと痺れていました。
放課後はよく祖母の茶屋のカウンターに座って、湖の水面をぼんやり眺めて、自分の中の水を静めてから、家に帰っていました。
高校二年の秋、祖母が珍しく、店の閉店後にお茶を淹れて、私を向かい合わせに座らせたことがありました。
その時、祖母の中を、音のない深い川が、静かに流れているのを感じました。
「おばあちゃんの中で、誰か、静かに泣いてる」
気づけば、そう口にしていました。
祖母は目を丸くして、しばらく黙って湯呑みを両手で包んでいました。
「…ミサさん、亡くなったんだよ」
長いあいだ湖畔の道向かいで甘味屋を営んでいた、祖母のいちばんの友達のことでした。
体調を崩されて店を閉じられてから半年、ご入院の連絡がご家族から入ったのが、その日の朝だったそうです。
「大人になるとな、誰かを悲しむ時間さえ、自分ひとりで抱えてしまうんだよ」
その夜、祖母と私はカウンターに並んで座り、湖のほうを見ながら、ミサさんの話を、ぽつり、ぽつりと聴きました。
その日から祖母は、私の「感じ方」を、少しずつ信じてくれるようになりました。
二十歳を過ぎた頃、私は東京に出ました。
出版に関わる仕事に憧れて、大きな書店で働き始めるためです。
本のあいだにいれば、人の心の水音から少しは離れられる。
そう思っていました。
けれど、東京の書店の店内は、想像していたよりずっと、たくさんの人の想いで溢れていました。
みんなそれぞれの水の流れを胸に持っていて、そのすべてが、私の中に一斉に注ぎ込んできました。
半年もしないうちに、朝、布団から立ち上がれなくなりました。
身体はどこも悪くないのに、ただ、水の重みだけで動けない。
そんな感覚でした。
ある冬の夜のことです。
書店の棚に並べていた写真集の中に、偶然、諏訪湖の御神渡りの写真を見つけました。
湖の氷をまっすぐに走った、あの神様の通り道。
その一枚を閉じた瞬間、祖母と一緒に朝の湖を眺めた冬の記憶が、胸の奥まで、静かに満ちてきました。
数週間後、私は書店を辞めて、上諏訪に戻ることにしました。
久しぶりに上諏訪の駅に降り立った日、家に帰ると、祖母はもう、この世にいませんでした。
私が東京にいた夏の終わりに、眠るように旅立ったと聞きました。
その足で、私は一人で、諏訪大社上社本宮へ向かいました。
境内の御柱の前に立った時、不思議と、祖母がすぐ隣に立っているような気配がしました。
「あんたの中の水は、あんただけのものと違う。
流してあげる人が、これから来るからな」
そんな声が、胸の奥で、確かに聴こえた気がしました。
その日、自分の中でずっと結ばれたままだった何かが、ふっとほどけました。
初めて誰かの相談を受けたのは、それから数ヶ月してからです。
祖母のお茶屋を覚えていたご近所のおじいさんが、「ちょっと話を聴いてくれんかね」と、訪ねてきてくださいました。
その方は、お連れ合いを、春に亡くされたばかりでした。
台所でお茶を差し出しながら、その方の中を静かに感じてみました。
激しい悲しみの流れは、もう表面には残っていませんでした。
その代わり、無数の細い小川が、胸の中でどこにも合流できずに、それぞれ勝手に流れているのが視えました。
「悲しむ時間を、まだ、一度も取っていらっしゃらないですね」
そう静かにお伝えすると、その方はしばらく湯呑みを見つめて、やがてぽつり、「ずっと、動き続けるしかなかった」とこぼされました。
私は、その方が話し終わるまで、ただ、隣に座っていました。
一週間ほど経ってから、その方がまた家に来られました。
特に用事もなく、
「久しぶりに、ちゃんと泣けた。
それだけ、言いに来た」
と、少し笑って帰っていかれました。
その背中を見送りながら、自分がこの仕事を続けていくのだと、胸の底で、静かに決まりました。
それから少しずつ、鑑定の仕事を始めました。
最初はご近所の口コミからでしたが、今はオンラインでも、諏訪の外にお住まいの方から、ご相談をいただくようになりました。
私に声をかけてくださる方々は、たいてい、ご自身の中に、すでに答えらしきものを抱えていらっしゃるように感じます。
私にできるのは、その方の中を流れている水の音を、できるだけ丁寧に聴き取って、「今はこちらへ流れていますよ」と、そっとお伝えすることだけです。
感じ取ったことは、言葉を選んで、正直にお伝えします。
ただ、「こう決めるべき」とは、絶対に申しません。
決めるのは、いつだって、ご本人ご自身です。
八つの夏の花火の夜、湖畔でおばあさんの隣に座っていた小さな私は、今も、心のどこかにそのまま住んでいます。
湖の澪のように、人と人の間を静かに流れていく。
祖母が置いていってくれたこの名前のとおりに、今日も上諏訪の一室で、画面の向こうの、お一人おひとりの水の音に、そっと耳を傾けています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
もしこの文章のどこかで、胸のあたりが、ほんの少しでも波打ったなら。
今、ひとりで、自分の中の流れがうまく読めなくなっているのなら。
よかったら公式LINEから、そっと覗いてみてください。
一緒に、あなたの心の水が、また静かに流れられる場所を、探しにいけたらと思います。
長野県諏訪市の上諏訪で霊視鑑定をしております、澪環(みわ)です。
SNSで鑑定のご紹介を続けていると、同じことを何度もお尋ねいただくようになりました。
なので、ここにまとめてお答えしておきます。
湖畔で小さな茶屋を営んでいた祖母が、私に付けてくれた名前です。
「澪」は、湖の底を流れる水の道。
「環」は、諏訪大社の四つのお社を結ぶ、目に見えない環。
祖母は、「あなたは、人の心の流れをそっと聴いて、それを人と人の間に返してあげる子になりなさい」と言って、この二文字を選んでくれました。
幼い私にはよくわからない話でしたが、その言葉の音だけは、ずっと胸の底に残っています。
生まれも育ちも、上諏訪です。
湖のほとりの、古い集落で育ちました。
両親は市内で共働きでしたので、物心ついた頃から私を育ててくれたのは、湖畔の茶屋の祖母でした。
放課後はよく茶屋のカウンターに座って、湖の水面をぼんやり眺めてから家に帰るのが、私の毎日でした。
二十歳を過ぎた頃に一度、東京の大きな書店で働きました。
けれど、人の想いの多さに体が動かなくなり、上諏訪に戻ってきました。
今は上諏訪の一室で、ご相談をお受けしています。
自分は少し違うのかもしれない、と最初に思ったのは、八つの夏です。
祖母と二人で出かけた、上諏訪の湖上花火大会の夜でした。
みんなが空を見上げて笑っている中で、遠くのベンチに座ったおばあさんの内側にだけ、音のない大きな川が流れているような、深い悲しみが視えました。
理由もわからないまま、私はそのおばあさんの隣へ行き、綿菓子をそっと差し出していました。
おばあさんは静かに涙をこぼして、「ずいぶん昔にね、こんな夏の夜に、息子を亡くしたんだよ」と話してくださいました。
それから、少しずつ、不思議なことが増えていきました。
その方の心の中を流れる、水のような想いが感じられます。
ただ、流れの様子だけでは、私にも詳しいことはわかりません。
ご相談の内容を伺いながら、その流れにそっと耳を澄ませていると、どこで滞り、どちらへ流れようとしているのかが、少しずつ聴こえてきます。
私はそれを、できるだけ丁寧に聴き取って、そのままお伝えしているだけです。
当てるために視ていません。
私に声をかけてくださる方々は、たいてい、ご自身の中に、すでに答えらしきものを抱えていらっしゃいます。
私にできるのは、その方の中を流れている水の音を聴き取って、「今はこちらへ流れていますよ」と、そっとお伝えすることだけです。
感じ取ったものが、望まれている答えと違うこともあります。
そのときも、言葉を選んで、正直にお伝えします。
ただ、「こう決めるべき」とは決して申しません。
決めるのは、いつだって、ご本人ご自身です。
今は、公式LINEでの文章鑑定でお受けしています。
お名前(呼び方)、性別、生年月日、今のご相談内容を送っていただければ、1時間ほどお時間をいただいて、無料鑑定をお返しいたします。
「文章だと薄くなりませんか」とよく聞かれますが、私の場合はむしろ逆です。
目の前にいらっしゃると、その方の表情や声に引っ張られて、いくつもの流れが一度に押し寄せてくることがあります。
文章でお預かりしたほうが、流れを一筋ずつ、静かに辿れます。
無料鑑定は、はじめに聴こえた流れを、そのまま読み上げてお伝えするものです。
1時間の中で感じ取れた範囲までを、文章でお返しします。
本鑑定は、その先まで時間をかけて視ていくものです。
時期。人と人との順番。相手の本心。まだ言葉になっていない、心の底の流れ。
無料の範囲では入りきらないものを、鑑定結果としてお渡ししています。
無料鑑定を受け取っていただいて、「もう少し先まで知りたい」とご本人が思われた方にのみ、こちらからご案内しています。
無理にお勧めすることはありません。
もちろん、大丈夫です。
湖畔の花火の夜も、東京の書店の棚の前でも、表では笑っていながら、底の方で小さな渦を巻いている方を、私はたくさん感じてきました。
外から見れば「やめておきなさい」の一言で片づけられることでも、当のご本人にとっては、そう単純なことではありません。
私は、誰かを傷つけることを勧めるために視ているわけではありません。
けれど、悩んでいらっしゃるご本人まで否定する必要はない、といつも思っています。
きれいに整えてお話しくださらなくて大丈夫です。そのまま、お聞かせください。
「このままでは大変なことになりますよ」
「今すぐ動かないと手遅れです」
そういう言葉は使いません。
恐怖で人を動かすために、この感覚を使いたくないからです。
祖母は私に、「人の心の流れをそっと聴いて、それを人と人の間に返してあげる子に」と言ってくれました。
私も、聴こえたことを、そっとお返しするだけです。
呼ばなくて大丈夫です。
私も普通に悩みます。
人の多い日には、頭の芯がじいんと痺れて、何もできない日もあります。
東京にいた頃は、朝、布団から立ち上がれなくなった時期もありました。
「先生」と呼んでいただくよりも、少しだけ変わった人生を経験した人に話してみよう。
そのくらいのお気持ちで来てくださったら、いちばん嬉しいです。
今いる場所からの景色だけを見て、これからのご自身の人生を、全部決めつけないでください。
湖の澪のように、人と人の間を静かに流れていく。
祖母が置いていってくれたこの名前のとおりに、今日も上諏訪の一室で、お一人おひとりの水の音に、そっと耳を傾けています。
あなたの心の水が、また静かに流れられる場所を、一緒に探しにいけたら嬉しいです。